検索結果経由のクリック率が下がり続け、情報接触の入口がSNSやAIに広がる今、コンテンツマーケティングは「オウンドメディアからオウンドコンテンツへ」と軸足を移し始めています。前回の記事では、この戦略的シフトの全体像を整理しました。今回はその実践例として、米国フィンテック企業 Bilt(ビルト) が仕掛けたショートドラマシリーズ「Roomies」を紹介します。
Biltは、家賃の支払いでポイントを貯め、旅行やライフスタイル特典に交換できるサービスを提供する企業。人々の「賃貸」「引っ越し」「キャリア」「人間関係」といった日常のライフイベントに寄り添うブランドだからこそ、単なる広告ではなく視聴者が番組として楽しめるオウンドコンテンツを制作しています。
そうした取り組みの一環として生まれたのが、TikTokやInstagramで展開されるショートドラマRoomies。ブランドを前面に出さず、共感を呼ぶストーリーで惹きつけ、「人の頭の中」という最強の検索エンジンに、ふとした瞬間に思い出してもらえる存在になることを意図した設計です。本記事では、この「オウンドコンテンツ × レンタルレール」戦略の全貌と、想起ファネル設計のヒントを解説していきます。
Roomiesについて調べるために以下の2つの記事を参考にしています。
Is Your Favorite Social Media Sitcom Actually a Marketing Campaign?
Why Content Marketing Is Your Brand’s Invisibility Solution in the AI Era
▲Roomiesはオハイオからニューヨークに引っ越してきた25歳の主人公が、新しいルームメイトたちと出会い、仕事や人間関係に奮闘しながら都会での生活を模索していく姿を描いたモキュメンタリー。
フィンテック企業Biltが手がけるRoomiesは、TikTokとInstagram上で展開される1話約1〜2分のショートドラマシリーズです。形式は、フィクションをドキュメンタリー風に演出するモキュメンタリー。リアルさと親近感を演出するこの手法によって、視聴者はあたかも実際にルームメイトたちの日常を覗いているような感覚で、物語に引き込まれます。
ストーリーは、オハイオからニューヨークに引っ越してきた25歳の主人公が、新しいルームメイトたちと出会いながら、仕事・友情・恋愛・都会生活のリアルに向き合っていくというもの。ありふれた設定に見えますが、その等身大の描写こそが、視聴者の共感と没入を呼び起こすポイントです。
Roomiesは、Bilt公式ではなく専用アカウント「@roomiesroomiesroomies」で運用されています。2025年9月24日時点で全14話を公開、InstagramとTikTokを合わせて累計再生数は1,000万回超、フォロワーは18万人以上。コメント欄には「次回が楽しみすぎる」「またアルゴリズムが届けてくれた!」といった声が溢れ、エンタメ作品として視聴されていることが伝わってきます。
そして何より特徴的なのは、物語の中にBiltのサービスが一切登場しない点です。アカウントのプロフィール欄に「by @bilt」と小さく記載されているのみで、視聴者はまず「面白い番組」としてRoomiesに触れます。そして後になって、「あのシリーズって、Biltが作ってたんだ」と気づく。この後から気づかせる設計が、広告では得られない自然な好意形成につながっているのです。
Roomiesが特筆すべきなのは、単に自社制作であるというレベルを超え、構想から配信までをBilt社内で完結させている点です。その一貫性がストーリーの世界観とブランドビジョンを高い精度で融合させています。
また、Roomiesはテレビドラマ並みの物語性と、SNSネイティブな設計を両立しています。1話わずか1〜2分という短尺ながら、登場人物のキャラクターや背景が丁寧に描かれており、視聴者が「次の話が待ちきれない」と感じるような、連続視聴のモチベーションを自然に抱く構造です。同時に、TikTokやInstagramというプラットフォームの文脈に最適化された編集テンポやフォーマットが用いられており、視聴ハードルを下げつつ没入感を高める設計になっています。
そして何より、ブランド訴求のあり方がオウンドコンテンツの理想形を示しています。Roomiesの物語にBiltのサービスは一切登場しませんが、その代わりに描かれるのは、引っ越し・人間関係・キャリアの悩みなど、Biltが寄り添いたいと考えるライフイベントそのもの。ブランド名を前面に出さずとも、視聴者は「この作品は自分たちの暮らしを理解してくれている」と感じ、自然な形でブランドへの共感が育まれる構造になっているのです。
これは、「押し付けないブランド体験をどうつくるか?」という、オウンドコンテンツの本質的な問いへの一つの答えと言えるでしょう。
Roomiesが大きな拡散力を得ている背景には、TikTokやInstagramといったSNSプラットフォームのアルゴリズムをうまく活用する「レンタルレール戦略」があります。
「レンタルレール」とは、自社が保有するチャネル(オウンドメディア)ではなく、アルゴリズムによって発見・再接触が繰り返されるプラットフォームの拡散構造を借りる戦略です。特にTikTokやInstagramのような短尺動画プラットフォームでは、ユーザーの視聴履歴や反応をもとに、次のエピソードが自然とレコメンドされる仕組みが整っており、Roomiesのような連続性のあるドラマシリーズとの相性は抜群です。
ユーザーにとっては「検索して視聴する」のではなく、「またこの番組が流れてきた」という形で自然に再接触が起こる。この繰り返しによって広告としての押しつけ感を排除しながら、記憶に残る状態をつくり出しています。
この戦略を支えているのが、Bilt公式ではなく専用アカウント(@roomiesroomiesroomies)を使った配信設計です。もしRoomiesがBiltの公式アカウントで展開されていたら、「企業の宣伝」として受け止められ、これほど自然に拡散されたり、ファン化が進んだりすることは難しかったでしょう。
独立アカウントによって物語への没入が優先され、ブランド情報はあとから静かに立ち上がる。この構造は、アルゴリズムを味方につける上でも非常に合理的です。視聴体験の入口では「番組」としての魅力に集中してもらい、その記憶が積み重なることで、ライフイベントのタイミングに想起されるブランドへとつながっていくのです。
Roomiesはまさに、広告の即効性ではなく、日常の中に「記憶の種」をまく拡散設計を実現しているといえます。
▲RoomiesのInstagram。by @biltと表記があるだけで、それ以外にBiltとわかる表記はない。
▲Biltの公式Instagram。広告メッセージを含む動画コンテンツが投稿されている。
Roomiesは、一見すると単なるエンタメコンテンツのように見えますが、その背後には、「関係性」「フェーズ設計」「資産化」という3つの視点から考え抜かれたブランド戦略があります。
従来の広告は、視聴者の時間を中断してメッセージを届けるものでした。それに対してRoomiesは、「広告を見せる」のではなく、「一緒に物語を楽しむ」という体験を提供する設計になっています。視聴者は能動的にRoomiesの次回を待ち、SNSで感想を語り合い、ときには自分の経験と重ね合わせる。Biltはこの仕組みによって、企業と生活者という関係を、共体験を共有する仲間へと転換させています。
Roomiesでは、シーズン1の段階でブランド露出をほぼゼロに抑えるという設計が採用されました。これにより、視聴者はコンテンツに対する純粋な興味をもって関与し、物語としての魅力を中心にファン化していきます。
そして今後の展開では、たとえば登場人物がBiltのサービスをさりげなく利用する場面を取り入れることで、ブランドと物語の統合を段階的に進めていく計画が示唆されています。
この「ファンベースを形成したあとにブランドを溶け込ませる」という二段階設計は、押しつけ感なく、好意的な想起を引き起こす上で非常に有効です。
BiltはRoomiesを広告キャンペーンではなく、ブランド資産として位置づけています。一時的なバズや短期的な成果ではなく、中長期にわたってブランド価値を醸成する「記憶の貯金」として機能させることが狙いです。
実際、RoomiesはTikTokとInstagramの両方で有料広告に頼らず、自然流入で18万人超のフォロワーを獲得し、数百万単位のエンゲージメントを生み出しています。
これは、語られ、覚えられ、再接触されるコンテンツとして設計されていることの証とも言えるでしょう。
ゼロクリック検索時代では、従来のように「検索してもらう前提」の購買ファネルだけでは不十分です。むしろ重要なのは、「購買のきっかけが生じた瞬間に、頭の中にブランドが浮かぶ状態をどう設計するか」という視点、すなわち想起ファネルの設計なのです。
Roomiesは、この想起ファネルを戦略的に設計・実装している好例です。ブランドが記憶の中でどのように芽を出し、思い出され、選ばれるのか。その3段階の流れを、Roomiesの視聴体験に沿って整理してみましょう。
▲Biltのコミュニケーション戦略では、「Roomies」による想起ファネル戦略と、公式チャンネルであるウェブサイト、Instagram、X、LinkedIn、TikTokによる購買ファネル戦略の両輪がうまく設計されている。
ユーザーはTikTokやInstagram上で、「またこのドラマ流れてきた!」という形でRoomiesと接触します。Biltのブランド名は前面に出ておらず、視聴者はあくまでエンタメ作品としてRoomiesに没入します。この広告だと気づかれない接触こそが、記憶に残る第一歩です。
Roomiesは連続性のあるストーリー展開とSNSに最適化されたテンポによって、「続きが気になる」「登場人物に共感する」といった自発的な視聴習慣を生み出しています。視聴者はコメントやシェアを通じて作品に関与し、その中でBiltという存在が自然に脳内に組み込まれていくのです。
引っ越しや賃貸契約といったライフイベントに直面したとき、「これってRoomiesみたい。そういえばRoomiesってBiltが作ってたんだよね」と記憶が立ち上がる。これは、検索やAIに問いかける前に思い出されるブランドになった状態であり、まさに想起ファネルのゴールといえます。
Roomiesは、ブランド認知を「外から届ける」のではなく、視聴体験を通じて「内に宿す」ことに成功しています。ゼロクリック検索時代のマーケティングにおいて、最も重要な検索エンジンは「人の頭の中」である。その視点を実践するコンテンツ施策だと言えるでしょう。
Biltが展開するショートドラマRoomiesは、オウンドコンテンツの魅力 × レンタルレールの拡散力を融合させた先進事例です。単なる企業コンテンツではなく、広告では届かない心の場所に、物語として入り込むという新しいコンテンツ戦略のかたちを提示しています。
ブランド名を前面に押し出すことなく、視聴者が純粋に楽しめるコンテンツを届けることで、Biltは好意的なブランド記憶を育み、AI検索やクリックを介さずとも「思い出されるブランド」になることに成功しています。
このような戦略は、ゼロクリック検索時代のマーケティングにおいてますます重要になっていくでしょう。なぜなら、検索結果の上位表示よりも、最初に思い出されることのほうが選ばれる確率が高いからです。
Roomiesに見る想起ファネルの設計には、次のようなヒントがあります。
ユーザーの自発的な視聴行動を誘発し、関係性を構築する
初期は物語に集中してもらい、好意形成後に自然にブランドに触れてもらう
アルゴリズムとプラットフォーム構造を味方につけ、繰り返し接触を促す
キャンペーンではなく、継続的なブランド好意を蓄積する長期戦略として運用する
Roomiesはまだ進行中のプロジェクトです。これからの展開で、どのようにブランドが物語に溶け込んでいくのか注目されますが、すでにこの取り組みは、「記憶に刻まれること」の価値を鮮やかに示しています。
ゼロクリック検索時代の勝負は、もはや検索結果の上位に表示されることではありません。最も重要なのは「人の頭の中」という検索エンジンに、どれだけ深く、自然にブランドを埋め込めるか。その記憶の中に残る存在であれるかどうか。それこそが、これからのコンテンツマーケティングに求められる最大の競争力ではないでしょうか。
執筆:渡辺一男
CONTENT MARKETING LAB ファウンダー
※本記事は執筆及び画像作成にあたり、生成AIを利用しています。
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